TRANSITポタリング#07に参加してきました

富雄駅すぐのちょっとトリッキーな(褒め言葉)自転車屋さん「TRANSIT」主催のポタリングに、参加してきました!

ロードバイクを始めようと思ったとき、いろいろ調べてどうしてもRALEIGH CRRが欲しいと思い、探し回って大型サイクルショップで購入した僕にとって、いわゆる「ベース」なお店がないまま1年経って、近所にいいお店ができたらなーと思ってたときに偶然知ったTRANSIT。ゆるい加減がホビーサイクリストには溜まりません。そして店主が絶妙にいい人です。

去年初めて行ったときに休みの日に早朝ポタリングしてることを知り、一度集合だけ顔を出して、こないだの日曜、念願叶って遂に参加させてもらいました!くろんど池にも、法隆寺にも行ったことのあるポタリング会なのに、なぜか帰りの富雄から帝塚山大学までの登りがいちばんきつかったというのはご愛嬌(笑)。

ルートをEndomondoに落としたのですが、どういう訳かEmbedded codeを吐き出してくれないので、とりあえずリンク。http://www.endomondo.com/routes/38489476

富雄駅を出発してマック経由でイモ山公園という、なんとも脱力感満載で最高なポタリング!

僕、イモ山公園って初めて行きましたよ。163を車で走ってるとき毎度毎度「イモ山って!」って思ってたイモ山、まさかこんな形で来れるなんて!でも、イモ山って名前に似合わず爽やかなところでした。丘陵の上に、ミニチュアダックスフンドを2匹連れたおじいさんがいてちょっとお話。

帰ってきてメンバーの皆さんは、「次回はちゃんとコース考えよう」と仰ってましたけど、僕はあんなカンジのも楽しくていいなあ~と満喫して帰ってきました。以下箇条書き:

  • 早朝ライドはフェイスケア必須。素のまま出て帰ってきたら、頬が赤く霜焼けしてた。
  • ローラー台の成果は多少出てる。帰りの坂は結構余力があった。
  • しかし、やっぱり実走での疲れはローラー台とは全然違う。そろそろ温かくなるので、ちゃんと走ろう。

『オリジナルワーキング 独創的仕事人のセオリー』/高橋宣行

4887595352 オリジナル・ワーキング
高橋 宣行
ディスカヴァー・トゥエンティワン 2007-03-20

by G-Tools

いわゆる「クリエイティブ」に仕事をしたい人にとって参考になる考え方とフォーマットが提供されていますが、それほど普遍的な内容ではないと、個人的には思いました。自分が所属する業界の人間が、この本に書かれていることを有効活用できるかと言えば、もちろん役に立ちますが、直接性は薄いでしょう。巻末に、独創的仕事を果たした企業の一例としてIBMが記載されていますが、IBMの復活劇は、経営によってもたらされたもので、従業員の自立的な行動でもたらされたものとは言えません。本著では、「企業は自立した人を求めている」とありますが、それができるのにも条件があります。個々人の「自立」を求める論を、経営によってもたらされた変革と同列に書かれると少し白けてしまいます。

  • 何のために「新しい」のか?
  • 何のために「他人と違う」のか?
  • 「新しい」ことは価値があるのか?
  • なぜ、「差異」を発するのか?
  • 「差異」を達成することは、必ず社会貢献になっているのか?

こういった根本的なところには、本著は答えてはくれません。

ただ、これまでの経済社会での成果を挙げるための一定の「セオリー」パターンをきちんとフォーマットしてくれているところは有用です。

『宮大工棟梁・西岡常一 「口伝」の重み』/西岡常一 西岡常一棟梁の遺徳を語り継ぐ会 #jbnsgt3

『鬼に訊け』を観たその足で同じイオンの中にある本屋で買って帰った一冊。
 ちゃらちゃらと「仕事ってナニ?」みたいなことを言い募らなくても、この一冊読むだけで十二分。社会人なら誰でも読んでほしいと思う本です。

いろいろな方が「西岡のお父さんの本を読ませてもろうてますよ。あの口伝ちゅうのはすばらしいですなあ」と言うてくれるんです。「ありがとうございます」と言うてるけども、そういう賛辞を言うてもらうんであれば、自分の身の周りから具体的な行動に移していただくことが、ほんとにおやじの喜びになると思います。

組織運営論などで応用していただくのは非常にありがたいと思うんですが、多くは言葉の弄びになってる気がするんです。ほんとに意味がわかって、日常の社会生活に活かしてもらえてるかどうかと言ったら決してそうは見えない。

この部分が在るのがこの本の出色なところだなあと思う。そしてこの感覚の血は、僕にもある。「ええことゆってるけど、やってることちゃうやないか」とやり込めたくなる血が。特に去年一年、能書きだけは一人前に垂れる自称「行動家」に、嫌というほど出会った。そして、現代はすべてが消費のために記号化されているので、そこに魂が入っていなくても、記号と記号、キーワードとキーワードがクロスすれば、「いいね!」と言われ、人が集まり、「ムーブメント」となって、何事かを成しているような空気が醸成され、その人となりも補完されていき、そこに加わっている人たちは、自分も何事かを成しているかのような感覚で突き進んでいく。僕は、自分自身にだけは常に、「自分の身の周りから具体的な行動に移せ」と言い続けよう。

  • 頷ける言葉ばかり出てくるのだけど、これは「棟梁」としてのスタンスであることを意識する必要がある。仕事をする上で非常に参考になる重要なことばかりではあるが、「棟梁」と「職人」は違う。違うということがはっきりと書かれている。
  • 言葉にできることとできないことがあるということを、どううまく按配していくか、そのあたりが絶妙。言葉にできないようなことを、「言葉にできないもんや」と片づけるような姿勢はひとつもない。
  • 「知識は持っとかなあかん。だけど知識人になるな」
  • 「口のうまい奴に、ロクな職人はおらん」
  • 頑として聞かないだけの、筋道を身に付ける。
  • 続かないことに意味はない、という自分の哲学に、自信を与えられた気がする。
  • 古くから在るというのは、古くから続けられているということ。古くから続けられているということは、ただ「ありのまま」にしているのではなく、都度都度手をかけているということで、ほったらかしにしていたら間違いなく滅びている。

和辻哲郎『古寺巡礼』、亀井勝一郎『大和古寺風物詩』が、西洋美学を取り入れた大正、昭和の教養主義の上に乗っかって、宗教的な建物や仏像を鑑賞するテキストの役割を果たしてきました。戦前、戦中・終戦から、戦後までずっと、日本人の心情にもマッチしたのです。そういう耽美主義的な立場で美術を見るということが主流になったおかげで、寺、仏像、特に大和の寺、仏像には「滅びゆく中にその美を見出す」という見方が定着してしまった

この部分は自分にも思い当たるところがあり猛省しなければいけない。法隆寺の来歴とか、何も知らなかった。歴史のある土地に縁を持ち、その歴史を浪費するところがあったが、もうそれではいけない。

4532194644 宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み (日経ビジネス人文庫 オレンジ に 2-1)
西岡 常一
日本経済新聞出版社 2008-09

by G-Tools

「答えを出す」道具と「答えが出る」道具-『鬼に訊け 宮大工 西岡常一の遺言』

いちばん感動したのは、「差金」の話。

  • 差金(曲尺)はもちろん見たことあるし知ってるんだけど、あれだけで計算ができるとは知らなかった。長い尺と短い尺の目盛の刻みは、同じじゃなくて違うのだ。「物差し」と言えば当たり前のようにミリで刻まれてるもので、長い尺と短い尺がくっ付いているのは、直角を取るためとしか思ってなかったので、刻みが違うということに仰天した。短いほうは、円に当てるだけでその直径から円周がわかるように刻まれているらしい。それどころか、この差金だけで、 掛け算、割り算、二乗の開平、比例配分、三角法等々、いろいろな計算ができたらしい。映画では西岡氏が「電気そろばん」と言ってたと思う電卓など、不要なくらいほとんどの計算が、差金だけでできるらしい。
    道具とはこういうものだと思った。差金は、長尺と短尺に違う目盛が刻まれ、当て方で様々な計算ができる、「答えを出す」道具だ。使い方を覚えて初めて、いろんな答えを得ることができる。対して電卓は、「答えが出る」道具。使い方なんて覚えなくても、キーを叩くだけで答えが出る。この区別はよく覚えておく。
  • 西岡氏は言葉づかいが優しい。お弟子さんは「近寄りがたかった」と語ってたけど、単に言葉が荒いことだけが恐ろしいことではない。
  • 自分の自信のある意見はあらぶってもいい。逆に知らないこと、見ただけ聞いただけのことは、丁寧に話さないといけない。
  • 飛鳥・天平には先人の答えがない。その境遇を思い知れ。
  • 「薬師寺で死ね」
  • こういう映画こそ「助成」に相応しい。でも相応しい・相応しくないを、行政が判断するのは難しいしある種危険だし。
  •  法隆寺には鉄筋を入れられ、薬師寺にはコンクリートを使わされ。それへの反論の仕方も戦術があったと思うけれど、でもただ頑固になっているだけではなく、飲まざるを得ないところは飲んで前に進めている。
  • コンクリートの寿命は100年、それでも押し通したのは、コンクリートは年数が持つという意見に抗えないからだろう。
  • 「ほんまもんの仕事」。オレにとっての「ほんまもんの仕事」をやり遂げたい仕事は、なんだろう?
  • http://www.oninikike.com/

Training for NOT 若草山ヒルクライム#07

糸の切れた凧でも凧は凧!

「キャンセル待ちはないんですか?」という二度の質問に全くリアクションなく、「入金期限が過ぎています。2/6までに入金ください。カテゴリーB」と言ってきた若草山ドライブウェイロードレース実行委員会のメールは無視して、時間があればコツコツトレーニング。

やっぱりウォームアップされる7,8分までが辛い。そこまででちょっと心が折れそうになる。こればっかりはトレーニングというよりもメンタルの問題か。当面、この負荷レベルでケイデンス80~90rpmを続けよう。

ネイキッド

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。

自分の考え・思いを通すためには、説得力のある筋道が必要になる。
僕のような仕事では、特に理詰めが必要であるし、理詰めで説得力が出せる分野でもある。
しかしながら、ビジネスというのは、時に理詰めでは到底出ない結論をゴールに設定されることもある。
そして、どういう訳か、理詰めで説明にかかっても、社内すら説得できないことがある。
説得できないので更に理を詰めてかかると、煙たがられたり、放棄されて乱暴に金額の話に始終されたりする。

それでも負けは負け。潔く認めて、やることなすことをより丁寧にするための糧にする。
忘れてはならないことのひとつは、妥協してはいけないということだ。
妥協しないためには、常日頃から様々な話を聞くことに限る。そして、様々な話を聞くためには、やるべきことをやるための時間を集中して取ること。集中して取ったら集中してやること。

判り切っていることでも、繰り返し書くことが力につながる。

もう二度と僕を許さないでしょう
あなたは僕を見放すでしょう 未来永劫 

愛も憐みも届かない

『アルビン・トフラー「生産消費者」の時代』/アルビン・トフラー+田中直毅

4140812184 アルビン・トフラー―「生産消費者」の時代 (NHK未来への提言)
アルビン トフラー 田中 直毅 Alvin Toffler
日本放送出版協会  2007-07

by G-Tools

一方でより安いものを、より安くていいものを、効率的な運営を、と要求を叫びながら、一方でより多くの賃金を、より多くの雇用を、より多くの有給休暇を、という要求も叫ぶ、この現状に違和感を感じ続けて数年が経つ。モノが安くなるということは、単純に言って誰かの給料が安くなるか、誰かの仕事がなくなるか、どちらかによって成立しているはずだ。どうして、自分の立場だけが、高い給料をもらい続けられて、モノをより安く買えることを実現できると思いこめているのだろう?僕はこの答えは、個人から、生産者と消費者が分離してしまったからだと思っている。社会が工業化したときの、労働者は自分のところで作っている製品が買えないというようなパラドックスはよく言われるけれど、それでも労働者はまだ生産者でありかつ消費者であったと思う。現代は、その役割が個人の中で完全に分離されてしまっている。生産と消費は循環運動でなければならないのに、個人の中ではその循環を断ち切らされてしまっている。だから、消費者として、生産者として、全く矛盾する要求を同時並行で掲げることができ、循環を断ち切られているが故に結局状況を悪化させることになっているとは気づけない。

そんなふうに思っているので、アルビン・トフラーの言葉である「生産消費者」というのがどうもしっくりきてなくて、理解するために本書を選んだ。『富の未来』では、「産業の経済」と「知識の経済」の対立が紐解かれているが、「食うに困らない」ことが既に所与で前提の社会になっているという考え方に問題意識を持っていて躊躇いがあるものの、「生産消費者」というのが大枠では「D.I.Y.」を志向する人ということは理解できた。「金銭を使わずに、無償の労働を行い」、その結果のアウトプットが「生み出された富」という考え方。

自分たちで行うことでの満足感が金銭に取って変わるというのは、あまりにもナイーヴな考え方に感じるけれど、自分たちで行うという姿勢が主流になっていくというのは、圧倒的な情報量の社会で起こる現象としてとても納得できる。そしてこれは、工業化が究極に達しようとする社会で見られるようになった、「何事も専門家に任せればよい」という、徹底した「分業化」による効率性の追求から人間性を取り戻す確かな理論でもあると思う。
一方で、出来る限りすべてを消費者である自分たちが自分たち自身で行わなければならない社会というのは、相当に自己責任を負う社会ということでもあり、相当に厳しい社会でもある。そしてある種の回帰でもある。工業化前の時代の働き方に回帰する面が存在するが、果たしてそんなにうまくいくのだろうか?

『経営の教科書-社長が押さえておくべき30の基礎科目』/新将命

4478002258 経営の教科書―社長が押さえておくべき30の基礎科目
新 将命
ダイヤモンド社 2009-12-11

by G-Tools

びっくりした。昨日、謙虚について書いたところで、

謙虚さは真の自信のバロメーター

そして、「レヴィ=ストロースは僕に「強くなれ」と問い続ける」と書いたところで、

「経営者には「強さ」が必要」

もうこれだけで十分だと思う。今日、この本を読み切って良かった。そして、僕が見据える先は間違っていないと、自信が持てた。これは本当にいい書物で、内容は完全に経営者向けに書かれているけれど、”働く”あらゆる人が根底で理解しておいてよい内容だと思う。この外連味の無さは、何年かけても挑戦する価値がある。

Finally, it came!!

ライブ前にメールオーダーして、「うまいこといったら間に合うかな~」と思ってたリストバンド。

今日やっと来た!!

これをしてる、真っ黒のロードバイク・RALEIGH CRRに乗ってるヤツを見かけたら僕です!お声掛けを。

内側はlong time no see!

『読解レヴィ=ストロース』/出口顯

4787210475 読解レヴィ=ストロース
出口 顯
青弓社 2011-06-22

by G-Tools

僕にとってレヴィ=ストロースを読むとは、「謙虚」を学ぶことだった。それは、レヴィ=ストロースが、『野生の思考』で、未開人の生活・慣習は西欧と同じく高度なものであり、啓蒙主義は西欧中心主義であり転覆されるべきものである、という読みからではなく、レヴィ=ストロースを読むと、啓蒙主義の否定そのものですら、実は序列をつけんとする高慢な態度ではないのか、という、徹底した相対性を身に付けることができたからである。それは、自分がどうしても経験できないことに対して、どのように言葉を紡げばよいのかの姿勢の基盤となっている。コードが存在する以上、全体も存在する。ルールを否定しようという試みは、ルールをゼロにすることはできない。なぜならルールあっての反ルールであり超ルールであり脱ルールなのだから。僕にとってはこれが「構造主義」ということだった。

だから、レヴィ=ストロースをして「大声」を出そうとするスタンスは、必然的に失敗するものだと思っている。もともと声が大きい者がレヴィ=ストロースを語るとき、そこにはある種の欺瞞が生じる。レヴィ=ストロースは、必ず、その立場を相対化し、逆転し、反転させるからだ。例えば僕たちは日本に生まれ日本で暮らしながら、イランの行方を考えなければならない。イラン国民がどのような困難に直面しているのか、日本で暮らすことができながら考えなければならない。また同じ日本でも、東日本の困難を考えなければならない。共時的に考えなければならない。と同時に、高度経済成長期の恩恵を十二分に受けながら、その恩恵に顧みることなく現在の日本の問題を先送りするだけで解決しようとしない世代に対して、モノを言わなければいけないという二重の困難を考えなければならない。自分たちの置かれた立場が恵まれたものだという物言いは、反発を招いてほぼ必ず失敗する。そういう通時的な考えを持たなければならない。レヴィ=ストロースは、それぞれの立場を相対化し、逆転し、反転して考えることを強いる。だから、「声の大きい」ものが「声の大きい」まま語るのは、ある種の欺瞞だと僕は思う。

誰かに縋って生きていくことを、僕の「レヴィ=ストロース」は拒否する。「声の大きい」誰かの力を賢く利用して生きていくことを、僕の「レヴィ=ストロース」は拒否する。レヴィ=ストロースは、僕に「強くなれ」といつまでも問い続けるのだ。時に、言い辛い立場での物言いも、しっかり言わなければならない。その言いにくさというのは、時に自分が優れていると言うことでさえある。そしてそれは、「謙虚である」ということなのだ。