「答えを出す」道具と「答えが出る」道具-『鬼に訊け 宮大工 西岡常一の遺言』

いちばん感動したのは、「差金」の話。

  • 差金(曲尺)はもちろん見たことあるし知ってるんだけど、あれだけで計算ができるとは知らなかった。長い尺と短い尺の目盛の刻みは、同じじゃなくて違うのだ。「物差し」と言えば当たり前のようにミリで刻まれてるもので、長い尺と短い尺がくっ付いているのは、直角を取るためとしか思ってなかったので、刻みが違うということに仰天した。短いほうは、円に当てるだけでその直径から円周がわかるように刻まれているらしい。それどころか、この差金だけで、 掛け算、割り算、二乗の開平、比例配分、三角法等々、いろいろな計算ができたらしい。映画では西岡氏が「電気そろばん」と言ってたと思う電卓など、不要なくらいほとんどの計算が、差金だけでできるらしい。
    道具とはこういうものだと思った。差金は、長尺と短尺に違う目盛が刻まれ、当て方で様々な計算ができる、「答えを出す」道具だ。使い方を覚えて初めて、いろんな答えを得ることができる。対して電卓は、「答えが出る」道具。使い方なんて覚えなくても、キーを叩くだけで答えが出る。この区別はよく覚えておく。
  • 西岡氏は言葉づかいが優しい。お弟子さんは「近寄りがたかった」と語ってたけど、単に言葉が荒いことだけが恐ろしいことではない。
  • 自分の自信のある意見はあらぶってもいい。逆に知らないこと、見ただけ聞いただけのことは、丁寧に話さないといけない。
  • 飛鳥・天平には先人の答えがない。その境遇を思い知れ。
  • 「薬師寺で死ね」
  • こういう映画こそ「助成」に相応しい。でも相応しい・相応しくないを、行政が判断するのは難しいしある種危険だし。
  •  法隆寺には鉄筋を入れられ、薬師寺にはコンクリートを使わされ。それへの反論の仕方も戦術があったと思うけれど、でもただ頑固になっているだけではなく、飲まざるを得ないところは飲んで前に進めている。
  • コンクリートの寿命は100年、それでも押し通したのは、コンクリートは年数が持つという意見に抗えないからだろう。
  • 「ほんまもんの仕事」。オレにとっての「ほんまもんの仕事」をやり遂げたい仕事は、なんだろう?
  • http://www.oninikike.com/

Training for NOT 若草山ヒルクライム#07

糸の切れた凧でも凧は凧!

「キャンセル待ちはないんですか?」という二度の質問に全くリアクションなく、「入金期限が過ぎています。2/6までに入金ください。カテゴリーB」と言ってきた若草山ドライブウェイロードレース実行委員会のメールは無視して、時間があればコツコツトレーニング。

やっぱりウォームアップされる7,8分までが辛い。そこまででちょっと心が折れそうになる。こればっかりはトレーニングというよりもメンタルの問題か。当面、この負荷レベルでケイデンス80~90rpmを続けよう。

ネイキッド

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。

自分の考え・思いを通すためには、説得力のある筋道が必要になる。
僕のような仕事では、特に理詰めが必要であるし、理詰めで説得力が出せる分野でもある。
しかしながら、ビジネスというのは、時に理詰めでは到底出ない結論をゴールに設定されることもある。
そして、どういう訳か、理詰めで説明にかかっても、社内すら説得できないことがある。
説得できないので更に理を詰めてかかると、煙たがられたり、放棄されて乱暴に金額の話に始終されたりする。

それでも負けは負け。潔く認めて、やることなすことをより丁寧にするための糧にする。
忘れてはならないことのひとつは、妥協してはいけないということだ。
妥協しないためには、常日頃から様々な話を聞くことに限る。そして、様々な話を聞くためには、やるべきことをやるための時間を集中して取ること。集中して取ったら集中してやること。

判り切っていることでも、繰り返し書くことが力につながる。

もう二度と僕を許さないでしょう
あなたは僕を見放すでしょう 未来永劫 

愛も憐みも届かない

『アルビン・トフラー「生産消費者」の時代』/アルビン・トフラー+田中直毅

4140812184 アルビン・トフラー―「生産消費者」の時代 (NHK未来への提言)
アルビン トフラー 田中 直毅 Alvin Toffler
日本放送出版協会  2007-07

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一方でより安いものを、より安くていいものを、効率的な運営を、と要求を叫びながら、一方でより多くの賃金を、より多くの雇用を、より多くの有給休暇を、という要求も叫ぶ、この現状に違和感を感じ続けて数年が経つ。モノが安くなるということは、単純に言って誰かの給料が安くなるか、誰かの仕事がなくなるか、どちらかによって成立しているはずだ。どうして、自分の立場だけが、高い給料をもらい続けられて、モノをより安く買えることを実現できると思いこめているのだろう?僕はこの答えは、個人から、生産者と消費者が分離してしまったからだと思っている。社会が工業化したときの、労働者は自分のところで作っている製品が買えないというようなパラドックスはよく言われるけれど、それでも労働者はまだ生産者でありかつ消費者であったと思う。現代は、その役割が個人の中で完全に分離されてしまっている。生産と消費は循環運動でなければならないのに、個人の中ではその循環を断ち切らされてしまっている。だから、消費者として、生産者として、全く矛盾する要求を同時並行で掲げることができ、循環を断ち切られているが故に結局状況を悪化させることになっているとは気づけない。

そんなふうに思っているので、アルビン・トフラーの言葉である「生産消費者」というのがどうもしっくりきてなくて、理解するために本書を選んだ。『富の未来』では、「産業の経済」と「知識の経済」の対立が紐解かれているが、「食うに困らない」ことが既に所与で前提の社会になっているという考え方に問題意識を持っていて躊躇いがあるものの、「生産消費者」というのが大枠では「D.I.Y.」を志向する人ということは理解できた。「金銭を使わずに、無償の労働を行い」、その結果のアウトプットが「生み出された富」という考え方。

自分たちで行うことでの満足感が金銭に取って変わるというのは、あまりにもナイーヴな考え方に感じるけれど、自分たちで行うという姿勢が主流になっていくというのは、圧倒的な情報量の社会で起こる現象としてとても納得できる。そしてこれは、工業化が究極に達しようとする社会で見られるようになった、「何事も専門家に任せればよい」という、徹底した「分業化」による効率性の追求から人間性を取り戻す確かな理論でもあると思う。
一方で、出来る限りすべてを消費者である自分たちが自分たち自身で行わなければならない社会というのは、相当に自己責任を負う社会ということでもあり、相当に厳しい社会でもある。そしてある種の回帰でもある。工業化前の時代の働き方に回帰する面が存在するが、果たしてそんなにうまくいくのだろうか?

『経営の教科書-社長が押さえておくべき30の基礎科目』/新将命

4478002258 経営の教科書―社長が押さえておくべき30の基礎科目
新 将命
ダイヤモンド社 2009-12-11

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びっくりした。昨日、謙虚について書いたところで、

謙虚さは真の自信のバロメーター

そして、「レヴィ=ストロースは僕に「強くなれ」と問い続ける」と書いたところで、

「経営者には「強さ」が必要」

もうこれだけで十分だと思う。今日、この本を読み切って良かった。そして、僕が見据える先は間違っていないと、自信が持てた。これは本当にいい書物で、内容は完全に経営者向けに書かれているけれど、”働く”あらゆる人が根底で理解しておいてよい内容だと思う。この外連味の無さは、何年かけても挑戦する価値がある。

Finally, it came!!

ライブ前にメールオーダーして、「うまいこといったら間に合うかな~」と思ってたリストバンド。

今日やっと来た!!

これをしてる、真っ黒のロードバイク・RALEIGH CRRに乗ってるヤツを見かけたら僕です!お声掛けを。

内側はlong time no see!

『読解レヴィ=ストロース』/出口顯

4787210475 読解レヴィ=ストロース
出口 顯
青弓社 2011-06-22

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僕にとってレヴィ=ストロースを読むとは、「謙虚」を学ぶことだった。それは、レヴィ=ストロースが、『野生の思考』で、未開人の生活・慣習は西欧と同じく高度なものであり、啓蒙主義は西欧中心主義であり転覆されるべきものである、という読みからではなく、レヴィ=ストロースを読むと、啓蒙主義の否定そのものですら、実は序列をつけんとする高慢な態度ではないのか、という、徹底した相対性を身に付けることができたからである。それは、自分がどうしても経験できないことに対して、どのように言葉を紡げばよいのかの姿勢の基盤となっている。コードが存在する以上、全体も存在する。ルールを否定しようという試みは、ルールをゼロにすることはできない。なぜならルールあっての反ルールであり超ルールであり脱ルールなのだから。僕にとってはこれが「構造主義」ということだった。

だから、レヴィ=ストロースをして「大声」を出そうとするスタンスは、必然的に失敗するものだと思っている。もともと声が大きい者がレヴィ=ストロースを語るとき、そこにはある種の欺瞞が生じる。レヴィ=ストロースは、必ず、その立場を相対化し、逆転し、反転させるからだ。例えば僕たちは日本に生まれ日本で暮らしながら、イランの行方を考えなければならない。イラン国民がどのような困難に直面しているのか、日本で暮らすことができながら考えなければならない。また同じ日本でも、東日本の困難を考えなければならない。共時的に考えなければならない。と同時に、高度経済成長期の恩恵を十二分に受けながら、その恩恵に顧みることなく現在の日本の問題を先送りするだけで解決しようとしない世代に対して、モノを言わなければいけないという二重の困難を考えなければならない。自分たちの置かれた立場が恵まれたものだという物言いは、反発を招いてほぼ必ず失敗する。そういう通時的な考えを持たなければならない。レヴィ=ストロースは、それぞれの立場を相対化し、逆転し、反転して考えることを強いる。だから、「声の大きい」ものが「声の大きい」まま語るのは、ある種の欺瞞だと僕は思う。

誰かに縋って生きていくことを、僕の「レヴィ=ストロース」は拒否する。「声の大きい」誰かの力を賢く利用して生きていくことを、僕の「レヴィ=ストロース」は拒否する。レヴィ=ストロースは、僕に「強くなれ」といつまでも問い続けるのだ。時に、言い辛い立場での物言いも、しっかり言わなければならない。その言いにくさというのは、時に自分が優れていると言うことでさえある。そしてそれは、「謙虚である」ということなのだ。

ブリコルール

I'm a bricoleur.

どっかの誰かがまた生半可に言い出しそうなので、たまには先手を打って言ってやる。唾を飛ばして言ってやる。根性なくても言える。

オレはブリコルール。

確かにシステムは概念だけれど記号でもある。そしてシステムエンジニアというよりもシステムブリコルール。

企業秘密

僕はIT企業に勤めているので、定期的に新製品の社内説明会というのがある。

新製品に投入されている新技術は、お客様に説明するかどうかはさておいて、社員はきちんと理解していなければいけなそうなものだが、現実にはなかなかそうではない。

有名なところでは、コカ・コーラの材料と製法は、(日本)コカ・コーラの経営トップでも知らされていない(それが本当かどうかはさておいて)というように、社員でも知らないケースももちろんある。

なぜ、自社製品のことなのに社員にも知らせないのか、というのは様々考えられる理由があって、例えば、その社員が転職した場合に情報が持ち出されるとか、転職せずとも不用意に知人に話してしまうことによる漏洩を抑制する、とか。

食べ物の材料・製法と、ITのような製品の技術とは、納得して買いたいというレベルが違うよ、とお客様には言われそうだが(でもどっちかって言うと命に直結する食べ物のほうが大事なんじゃないの?と思わなくはない)、ITであっても、そういうことはある。

いわゆる「企業秘密」だ。

新製品説明会を受けてる最中、その「説明のつかない」技術がひとつ出てきて、このことを思い出した。それは企業秘密というよりは、説明している人にもその技術詳細が知らされていない、というパターンだったのだけれど、これをお客様に自分が説明するとき、必ずお客様から「理屈がわからないとなあー」と言われるな、というイメージがすぐに浮かんだのだ。

なんとなく、昔はそういう、「その製品の特徴」のようなものは、「こらすごいでんな。どないなってまんのや?」「そらお客さん、企業秘密ですわ」みたいな会話で、「よしこうた!」となったイメージがある。それは、実際にその製品の特長たる機能が、実際にそのように動作するからだったと思うけれど、最近は、説明責任だなんだと言い始めて、理屈で説明できないものは買わない、という流れが一般的に感じている。

でも、説明のつくものなんて、実はたかが知れていて、そんなんではイノベーションは起きない。そういうことも、知っている。その上で、「よしこうた!」にならなくなってしまった時代の流れも判っていて、根深い問題だなあと考えている。

Training for NOT 若草山ヒルクライム#04

若草山ヒルクライム出場が絶たれ、糸の切れた凧みたいになった中、それでも時間が出来たら一応ローラー。

昨日の倍、20分回してAverage Speedで3km弱上げられた。負荷レベルを1段階上げるだけで全く別物になるって実感。今まではキツいのは心肺だけだったけど、足もキツくなり、トレーニングの実感がある。

サドルポジションを早く高めに直そう。

次の目標をどこに置くか・・・この負荷レベルで30分、Average Speedを28km/hで回すことにしようかな。ちょっときついか。