奈良サイクルツアー2012 吉野コースに行ってきました、が…。

「奈良県南部復興支援サイクルツアー」と銘打たれた「奈良サイクルツアー2012」の吉野コースに行ってきました!3/3-4の一泊二日で平城宮跡から吉野山までの往復コースです。金峯山寺蔵王堂での朝勤行に参加できたなど、見所たくさんあったのですが、今回は残念ながら苦言から書かなければ収まりません。主催者である「特定非営利活動法人奈良元気もんプロジェクト」と共催である「奈良県」に対してです。はっきり言って、あの運営は高校生の学祭以下です。今時の高校生ならもっとうまくやるんじゃないかと思うくらいです。お金をもらってなければそれでもいいという訳じゃないですが、このイベントは曲がりなりにも参加費を取ってるイベントです。奈良元気もんプロジェクトと奈良県には猛省を促したいです。県外からたくさんの方が参加してくださるイベントだと言うのに、奈良県人として恥ずかしい。開会式で奈良県の観光局長?が「このイベントの成果をどんどん次に活かしていきたい」と言っていたけど、これはまず人前に出せるレベルになってない。ほんとに「実験」しただけなんじゃないか、と思うくらいです。

http://www.endomondo.com/routes/40565288

開会式の段取等、不慣れなところがあるなー、とは思っていましたが、問題だったのは実際の走行中のサポートです。遅刻してきた人を途中のエイドまで運搬してあげるなど、評価できるところもあったんですが、走行中のサポートスタッフは問題山積でした。

  • 輸送車(エイドステーションを回って物資を運ぶ)に同乗したスタッフがエイドステーションの場所とルートを把握しておらず、参加者が昼食ポイントの第二エイドに到着しても、弁当が届いていなかった
  • 伴走スタッフが、第二エイドの位置を正確に把握していなかった
  • 先導が、ルートを何度も間違えた
  • 極めつけは、吉野山への最後の登りで、伴走スタッフ3名が誰もルートが分からず、ルートマップを見ながらああでもないこうでもないとやり始め、15分以上そこに足止めになった
  • そのやり取りの最中で、一人のスタッフが(間違っていた)ひとつのルートを見てくると言って走りに出たが、残った人たちの確認で別のルートだということが判ったのに、調べにいったスタッフの携帯番号が分からないと言っていつ帰ってくるのか分からないスタッフを待つはめに
  • この顛末を、深刻に詫びるでもなく「えらいすんまへんな」で笑い飛ばそうとした
  • 1日目のゴールの後の説明で、スタッフが誰も、大会が公式に予約を受け付けた宿泊所と場所を把握していなかった
  • 2日目にサイクルトレインが出るはずだったのが、バスに変わっていた。これは、事前に案内があったらしいが、ホームページ上はずっとサイクルトレインのままだった
  • しかも、サイクルトレインなら10:00出発、と書いてあったところ、バスは8:45出発になった
  • にも拘らず、当日になって「諸般の都合で」9:30出発になった。旅行者にとって朝の30分は貴重。30分遅れるなら、勤行前に朝食を取らなかった方もいたはず。勤行前に朝食を取るために、多くの方が5:00起きした
  • 8:30集合と言っていたのに、スタッフは8:30に遅れてきた

とにかく、スタッフに「スタッフ」という自覚が欠けてます。「一緒に走りに来た、なんかあったらその場で対応すりゃええわ」くらいに思ってて、「参加者に親切に対応しよう」という気持ちが感じられません。奈良県人の商売人は、何かトラブルが起きたとき、「えらいすんまへんなあ、ワシぼんくらでしてなあ」と笑ってごまかすか、「そんなこと言われてもオレもどうしようもないやん」と逆切れするか、どっちかな気がして、自分も思い当るところがあり自戒してるんですけど、今回のは正にその奈良県人の悪いところが思いっきり出てた気がしました。

僕も過去に出たイベントは「しまなみ」2回なんですが、その運営の出来は比較になりません。今回の運営は、既存のイベントに参加して、その運営方法を勉強研究したりしたんでしょうか。自転車という安易な集客方法に頼っただけの気がします。「外部を見ない、内弁慶でそこそこできたらそんでええ」という、奈良県人的な性根がここにも出てた気がします。外部を見てたら、こんな杜撰なことできなかったはずです。奈良は競輪場も持っているし、シエルヴォ奈良というプロ自転車ロードレースチームも持っているし、自転車産業もさかんだし、古くからのショップあるし、せっかくいい土壌を持っているのに、自転車道を整備したってサービスがこれでは、大仏商法と同じでハードに頼ってばかりと言われかねません。ほんとに主催者と県には猛省してほしいです。

自転車本2冊

3月に向けていよいよロードバイクシーズン到来!なので自転車本2冊ご紹介。

小さいほうは『自転車手帳2012/2013』。こないだTRANSITで買ってきました。

目玉はそのサイズ(パンツの後ろポケットに入ります)とビニールカバー付でほんとにサイクリングに携行できること、それから全国自転車マップやメンテ・エイド情報が実用的なこと。

十分サイクリングで活用できるつくりと情報ですが、「持つだけで楽しい」タイプの手帳です!

TRANSITでも通販されてます:http://transit.ocnk.net/product/179

 

大きいほうは自転車好きの中では不朽の名作と言われている『ロードバイクの科学』!

理屈がわかれば自転車はもっと楽しい、の言葉通り、ホンモノのエンジニアの方がありとあらゆる自転車の通説について、実測と数式を徹底駆使して解説してくれます。これはほんとに興奮する本です。

「引き足はほんとうにあるのか?」「高ケイデンスがほんとうに有利か?」なんて、聞くだけでわくわくしませんか?それを、ほんとに科学で解き明かしてくれるのです!

数式はさっぱりわからなくっても、算出された数字の意味をちゃんと解説してくれるので、読んでて面白いです。掛け値なしにオススメです!

4789961656 ロードバイクの科学―明解にして実用!そうだったのか! 理屈がわかれば、ロードバイクはさらに面白い! (SJセレクトムック No. 66)
ふじい のりあき
スキージャーナル 2008-03

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一応自転車手帳のほうも(笑)

自転車手帳2012/2013 自転車手帳2012/2013
季刊紙サイクル編集部

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ペナルティ

これも大阪の橋下市長の発案ですが、所定の学力に到達しない生徒はたとえ小中学生でも留年や科目の再履修をさせるべきだという案が議論されています。そもそものアイディアは教育評論家の尾木直樹氏で、小中学校での学力の底上げを図るには必要だというのです。(尾木氏ご本人は大げさに取り上げられて困惑しているようですが)

橋下市長の小中学留年案。実際に学力低下が問題になっている以上、必要な学力を習得するために時間をかけるべきという考え方は賛成なんですが、それでも浮かんでくる違和感を整理すると:

  • なんらかのペナルティがあって初めて人はモチベーションを上げる、という発想が感じられる。ペナルティだけで人を動かそうとする方策は、混乱を招くことが多い。実は「飛び級」とかも並行して議論されていたらごめんなさい。
  • そもそも小中学生時代は、学力不足の責任は本人ではなくて親・先生にあると思う。それを一元的に本人の責任に帰して、ペナルティとして留年させるというのは本人への責任度合いが大き過ぎると思う。
  • その、「指導力不足」をどう改善していくのか、という議論がもうひとつわからない。「指導力不足」を数値化するために、「実際に落ちこぼれた生徒がこれだけいます」というのを明示しようとしている気すらする。

なぜ学力向上に躍起になるかというと、やはり学力のレベルは、市民生活のレベルと密接に関連性があるからと思われる訳です。教育浸透度の高い地域のほうが、犯罪率は低く生活水準は高いと一般的には言われるから。

そこへ行くと、率直に言って大阪市は、相当な体たらくの市だと思います。少なくとも数字上は。これを改善するために教育を根本から変える、まず基礎学力の低下を防ぐために義務教育の小中から手を付ける、という理屈は分からなくはないですが、それよりも、大阪に蔓延る「ズル」を丁寧に取り除く作業をやっていくほうが、市民生活のレベルを元に戻していく正攻法じゃないかなと思います。市民生活のレベルを元に戻す手立てとして、小中学生に「ペナルティ」を設ける、というのだとしたら、やはり賛成しかねる、と言ったところだし、純粋に学力向上を目指しているのだとしたら、他にやり方はあるだろうと思います。

TRANSITポタリング#07に参加してきました

富雄駅すぐのちょっとトリッキーな(褒め言葉)自転車屋さん「TRANSIT」主催のポタリングに、参加してきました!

ロードバイクを始めようと思ったとき、いろいろ調べてどうしてもRALEIGH CRRが欲しいと思い、探し回って大型サイクルショップで購入した僕にとって、いわゆる「ベース」なお店がないまま1年経って、近所にいいお店ができたらなーと思ってたときに偶然知ったTRANSIT。ゆるい加減がホビーサイクリストには溜まりません。そして店主が絶妙にいい人です。

去年初めて行ったときに休みの日に早朝ポタリングしてることを知り、一度集合だけ顔を出して、こないだの日曜、念願叶って遂に参加させてもらいました!くろんど池にも、法隆寺にも行ったことのあるポタリング会なのに、なぜか帰りの富雄から帝塚山大学までの登りがいちばんきつかったというのはご愛嬌(笑)。

ルートをEndomondoに落としたのですが、どういう訳かEmbedded codeを吐き出してくれないので、とりあえずリンク。http://www.endomondo.com/routes/38489476

富雄駅を出発してマック経由でイモ山公園という、なんとも脱力感満載で最高なポタリング!

僕、イモ山公園って初めて行きましたよ。163を車で走ってるとき毎度毎度「イモ山って!」って思ってたイモ山、まさかこんな形で来れるなんて!でも、イモ山って名前に似合わず爽やかなところでした。丘陵の上に、ミニチュアダックスフンドを2匹連れたおじいさんがいてちょっとお話。

帰ってきてメンバーの皆さんは、「次回はちゃんとコース考えよう」と仰ってましたけど、僕はあんなカンジのも楽しくていいなあ~と満喫して帰ってきました。以下箇条書き:

  • 早朝ライドはフェイスケア必須。素のまま出て帰ってきたら、頬が赤く霜焼けしてた。
  • ローラー台の成果は多少出てる。帰りの坂は結構余力があった。
  • しかし、やっぱり実走での疲れはローラー台とは全然違う。そろそろ温かくなるので、ちゃんと走ろう。

『オリジナルワーキング 独創的仕事人のセオリー』/高橋宣行

4887595352 オリジナル・ワーキング
高橋 宣行
ディスカヴァー・トゥエンティワン 2007-03-20

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いわゆる「クリエイティブ」に仕事をしたい人にとって参考になる考え方とフォーマットが提供されていますが、それほど普遍的な内容ではないと、個人的には思いました。自分が所属する業界の人間が、この本に書かれていることを有効活用できるかと言えば、もちろん役に立ちますが、直接性は薄いでしょう。巻末に、独創的仕事を果たした企業の一例としてIBMが記載されていますが、IBMの復活劇は、経営によってもたらされたもので、従業員の自立的な行動でもたらされたものとは言えません。本著では、「企業は自立した人を求めている」とありますが、それができるのにも条件があります。個々人の「自立」を求める論を、経営によってもたらされた変革と同列に書かれると少し白けてしまいます。

  • 何のために「新しい」のか?
  • 何のために「他人と違う」のか?
  • 「新しい」ことは価値があるのか?
  • なぜ、「差異」を発するのか?
  • 「差異」を達成することは、必ず社会貢献になっているのか?

こういった根本的なところには、本著は答えてはくれません。

ただ、これまでの経済社会での成果を挙げるための一定の「セオリー」パターンをきちんとフォーマットしてくれているところは有用です。

『宮大工棟梁・西岡常一 「口伝」の重み』/西岡常一 西岡常一棟梁の遺徳を語り継ぐ会 #jbnsgt3

『鬼に訊け』を観たその足で同じイオンの中にある本屋で買って帰った一冊。
 ちゃらちゃらと「仕事ってナニ?」みたいなことを言い募らなくても、この一冊読むだけで十二分。社会人なら誰でも読んでほしいと思う本です。

いろいろな方が「西岡のお父さんの本を読ませてもろうてますよ。あの口伝ちゅうのはすばらしいですなあ」と言うてくれるんです。「ありがとうございます」と言うてるけども、そういう賛辞を言うてもらうんであれば、自分の身の周りから具体的な行動に移していただくことが、ほんとにおやじの喜びになると思います。

組織運営論などで応用していただくのは非常にありがたいと思うんですが、多くは言葉の弄びになってる気がするんです。ほんとに意味がわかって、日常の社会生活に活かしてもらえてるかどうかと言ったら決してそうは見えない。

この部分が在るのがこの本の出色なところだなあと思う。そしてこの感覚の血は、僕にもある。「ええことゆってるけど、やってることちゃうやないか」とやり込めたくなる血が。特に去年一年、能書きだけは一人前に垂れる自称「行動家」に、嫌というほど出会った。そして、現代はすべてが消費のために記号化されているので、そこに魂が入っていなくても、記号と記号、キーワードとキーワードがクロスすれば、「いいね!」と言われ、人が集まり、「ムーブメント」となって、何事かを成しているような空気が醸成され、その人となりも補完されていき、そこに加わっている人たちは、自分も何事かを成しているかのような感覚で突き進んでいく。僕は、自分自身にだけは常に、「自分の身の周りから具体的な行動に移せ」と言い続けよう。

  • 頷ける言葉ばかり出てくるのだけど、これは「棟梁」としてのスタンスであることを意識する必要がある。仕事をする上で非常に参考になる重要なことばかりではあるが、「棟梁」と「職人」は違う。違うということがはっきりと書かれている。
  • 言葉にできることとできないことがあるということを、どううまく按配していくか、そのあたりが絶妙。言葉にできないようなことを、「言葉にできないもんや」と片づけるような姿勢はひとつもない。
  • 「知識は持っとかなあかん。だけど知識人になるな」
  • 「口のうまい奴に、ロクな職人はおらん」
  • 頑として聞かないだけの、筋道を身に付ける。
  • 続かないことに意味はない、という自分の哲学に、自信を与えられた気がする。
  • 古くから在るというのは、古くから続けられているということ。古くから続けられているということは、ただ「ありのまま」にしているのではなく、都度都度手をかけているということで、ほったらかしにしていたら間違いなく滅びている。

和辻哲郎『古寺巡礼』、亀井勝一郎『大和古寺風物詩』が、西洋美学を取り入れた大正、昭和の教養主義の上に乗っかって、宗教的な建物や仏像を鑑賞するテキストの役割を果たしてきました。戦前、戦中・終戦から、戦後までずっと、日本人の心情にもマッチしたのです。そういう耽美主義的な立場で美術を見るということが主流になったおかげで、寺、仏像、特に大和の寺、仏像には「滅びゆく中にその美を見出す」という見方が定着してしまった

この部分は自分にも思い当たるところがあり猛省しなければいけない。法隆寺の来歴とか、何も知らなかった。歴史のある土地に縁を持ち、その歴史を浪費するところがあったが、もうそれではいけない。

4532194644 宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み (日経ビジネス人文庫 オレンジ に 2-1)
西岡 常一
日本経済新聞出版社 2008-09

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「答えを出す」道具と「答えが出る」道具-『鬼に訊け 宮大工 西岡常一の遺言』

いちばん感動したのは、「差金」の話。

  • 差金(曲尺)はもちろん見たことあるし知ってるんだけど、あれだけで計算ができるとは知らなかった。長い尺と短い尺の目盛の刻みは、同じじゃなくて違うのだ。「物差し」と言えば当たり前のようにミリで刻まれてるもので、長い尺と短い尺がくっ付いているのは、直角を取るためとしか思ってなかったので、刻みが違うということに仰天した。短いほうは、円に当てるだけでその直径から円周がわかるように刻まれているらしい。それどころか、この差金だけで、 掛け算、割り算、二乗の開平、比例配分、三角法等々、いろいろな計算ができたらしい。映画では西岡氏が「電気そろばん」と言ってたと思う電卓など、不要なくらいほとんどの計算が、差金だけでできるらしい。
    道具とはこういうものだと思った。差金は、長尺と短尺に違う目盛が刻まれ、当て方で様々な計算ができる、「答えを出す」道具だ。使い方を覚えて初めて、いろんな答えを得ることができる。対して電卓は、「答えが出る」道具。使い方なんて覚えなくても、キーを叩くだけで答えが出る。この区別はよく覚えておく。
  • 西岡氏は言葉づかいが優しい。お弟子さんは「近寄りがたかった」と語ってたけど、単に言葉が荒いことだけが恐ろしいことではない。
  • 自分の自信のある意見はあらぶってもいい。逆に知らないこと、見ただけ聞いただけのことは、丁寧に話さないといけない。
  • 飛鳥・天平には先人の答えがない。その境遇を思い知れ。
  • 「薬師寺で死ね」
  • こういう映画こそ「助成」に相応しい。でも相応しい・相応しくないを、行政が判断するのは難しいしある種危険だし。
  •  法隆寺には鉄筋を入れられ、薬師寺にはコンクリートを使わされ。それへの反論の仕方も戦術があったと思うけれど、でもただ頑固になっているだけではなく、飲まざるを得ないところは飲んで前に進めている。
  • コンクリートの寿命は100年、それでも押し通したのは、コンクリートは年数が持つという意見に抗えないからだろう。
  • 「ほんまもんの仕事」。オレにとっての「ほんまもんの仕事」をやり遂げたい仕事は、なんだろう?
  • http://www.oninikike.com/

Training for NOT 若草山ヒルクライム#07

糸の切れた凧でも凧は凧!

「キャンセル待ちはないんですか?」という二度の質問に全くリアクションなく、「入金期限が過ぎています。2/6までに入金ください。カテゴリーB」と言ってきた若草山ドライブウェイロードレース実行委員会のメールは無視して、時間があればコツコツトレーニング。

やっぱりウォームアップされる7,8分までが辛い。そこまででちょっと心が折れそうになる。こればっかりはトレーニングというよりもメンタルの問題か。当面、この負荷レベルでケイデンス80~90rpmを続けよう。

ネイキッド

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。

自分の考え・思いを通すためには、説得力のある筋道が必要になる。
僕のような仕事では、特に理詰めが必要であるし、理詰めで説得力が出せる分野でもある。
しかしながら、ビジネスというのは、時に理詰めでは到底出ない結論をゴールに設定されることもある。
そして、どういう訳か、理詰めで説明にかかっても、社内すら説得できないことがある。
説得できないので更に理を詰めてかかると、煙たがられたり、放棄されて乱暴に金額の話に始終されたりする。

それでも負けは負け。潔く認めて、やることなすことをより丁寧にするための糧にする。
忘れてはならないことのひとつは、妥協してはいけないということだ。
妥協しないためには、常日頃から様々な話を聞くことに限る。そして、様々な話を聞くためには、やるべきことをやるための時間を集中して取ること。集中して取ったら集中してやること。

判り切っていることでも、繰り返し書くことが力につながる。

もう二度と僕を許さないでしょう
あなたは僕を見放すでしょう 未来永劫 

愛も憐みも届かない

『アルビン・トフラー「生産消費者」の時代』/アルビン・トフラー+田中直毅

4140812184 アルビン・トフラー―「生産消費者」の時代 (NHK未来への提言)
アルビン トフラー 田中 直毅 Alvin Toffler
日本放送出版協会  2007-07

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一方でより安いものを、より安くていいものを、効率的な運営を、と要求を叫びながら、一方でより多くの賃金を、より多くの雇用を、より多くの有給休暇を、という要求も叫ぶ、この現状に違和感を感じ続けて数年が経つ。モノが安くなるということは、単純に言って誰かの給料が安くなるか、誰かの仕事がなくなるか、どちらかによって成立しているはずだ。どうして、自分の立場だけが、高い給料をもらい続けられて、モノをより安く買えることを実現できると思いこめているのだろう?僕はこの答えは、個人から、生産者と消費者が分離してしまったからだと思っている。社会が工業化したときの、労働者は自分のところで作っている製品が買えないというようなパラドックスはよく言われるけれど、それでも労働者はまだ生産者でありかつ消費者であったと思う。現代は、その役割が個人の中で完全に分離されてしまっている。生産と消費は循環運動でなければならないのに、個人の中ではその循環を断ち切らされてしまっている。だから、消費者として、生産者として、全く矛盾する要求を同時並行で掲げることができ、循環を断ち切られているが故に結局状況を悪化させることになっているとは気づけない。

そんなふうに思っているので、アルビン・トフラーの言葉である「生産消費者」というのがどうもしっくりきてなくて、理解するために本書を選んだ。『富の未来』では、「産業の経済」と「知識の経済」の対立が紐解かれているが、「食うに困らない」ことが既に所与で前提の社会になっているという考え方に問題意識を持っていて躊躇いがあるものの、「生産消費者」というのが大枠では「D.I.Y.」を志向する人ということは理解できた。「金銭を使わずに、無償の労働を行い」、その結果のアウトプットが「生み出された富」という考え方。

自分たちで行うことでの満足感が金銭に取って変わるというのは、あまりにもナイーヴな考え方に感じるけれど、自分たちで行うという姿勢が主流になっていくというのは、圧倒的な情報量の社会で起こる現象としてとても納得できる。そしてこれは、工業化が究極に達しようとする社会で見られるようになった、「何事も専門家に任せればよい」という、徹底した「分業化」による効率性の追求から人間性を取り戻す確かな理論でもあると思う。
一方で、出来る限りすべてを消費者である自分たちが自分たち自身で行わなければならない社会というのは、相当に自己責任を負う社会ということでもあり、相当に厳しい社会でもある。そしてある種の回帰でもある。工業化前の時代の働き方に回帰する面が存在するが、果たしてそんなにうまくいくのだろうか?