『食う寝る坐る 永平寺修行記』/野々村馨

食う寝る坐る永平寺修行記 (新潮文庫)
食う寝る坐る永平寺修行記 (新潮文庫) 野々村 馨

新潮社  2001-07
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デザイン事務所勤務の著者が30歳の時、突然出家し一年間永平寺にて修行生活を送ったノンフィクション。

まず、お寺と何の関係もない一般の人が、突然思いついて出家するなんてことが許されるんだという驚きと、おまけに一年で帰って来れるんだという驚き。僕は出家と言うと、もうそのまま一生、仏の道を歩まなければいけないものだと思っていたので、「一年間」という区切りのある永平寺の修行というのがまず驚きだった。
ただ、僕にとってこの本を読み終える目的と言うのは、アマゾンのユーザーレビューの中にあった、「強制力を持って成し遂げて得られた達成感というのは、一時的なもので人間的成長にほとんど有用でない」という意味のレビュー、その内容の真偽を確かめたい、というものになっていた。

と言うのも、僕も概ね、スパルタ方式とか徒弟制とかに懐疑的だから。僕たちの世代というのは、親の世代=団塊の世代以上に、徒弟制のようなものに懐疑的で、大学生の頃から年功序列を敵視し、実力主義を尊ぶような思想に染まって育ってきた世代だし、ちょっと話は逸れるけどダウンタウンのような「ノーブランド漫才」=師匠が存在しない、という仕組=主従・徒弟ではなく、職能教育を施す仕組が本格的になっていきそうな時代に育ったので、スパルタ式や徒弟制に疑問を持ち続けてきた。人間扱いされていないような言われようが我慢できない、という程度のこともあるし、世の中にはそれが本当に人間の尊厳を損なうところまで突き進んでしまっていることもある。

だから、徹底的に強制的で、暴力的と言ってもいいくらい厳しい永平寺の修行を通して、著者がどんな満足感を得たのかというのが知りたかった。

読んでいて感じたのは、まず、著者にはそういう視点がないのだろうということだった。ある一つの思想に、哲学に、その方法論に、良し悪しを問わずまるごとどっぷりと浸かること、そのことを批判的に評価する視点はなかったのだろうと思う。もちろん宗教というのはそういうもの。だから、著者はつべこべ言わず、永平寺の流儀を丸ごと飲み込んだ。そして、その結果辿り着いた地点に、十分な達成感と満足感を得て下山した。
僕は、この、「どっぷり浸かる」というやり方が、最も効率的であるということは知っている。右も左もわからない世界では、まずどっぷり浸かるのが最短距離。例えば数学において公理公式を丸ごと暗記するように。でも、その一方で、例えば某企業において、まるで軍隊と見紛うまでの徹底教育が成され、その結果業界でも群を抜いた業績を収めるというトピックがあるけれど、それは、要は社員を徹底的により安くより多くを産みだすように訓練しているに過ぎない。

という訳で、資本主義体制の欠点の視点からも、僕はスパルタ式・徒弟制というのはよくないことだと思っていたのだけれど、反対に、なんでもかんでも理屈や理由がないと行動できない現代人というのもどうかなと疑問に思ってて、例えば電話対応を誤ると自社の悪い評判が口コミであっと言う間に広がり、それを回復するコストが高くつくので正しくやりましょう、とか、そんなもん理屈以前にやれて当たり前だろう、と常々思っている。その「当たり前だろうと常々思っている」部分、かつては「常識」と言えたのに、多様性とか個性を尊重とかが行き過ぎて「常識」と軽々しく言ってはいけない風潮が間違った方向に進んでるところを、「常識だろ」と言えるような、そういう強制力はやっぱり必要じゃないのかな、そんな風に読み終えて思ったのでした。

「五味岳久さんトーク&ライブ似顔絵&ライブショー」行ってきました

兄さんのトーク&ライブ似顔絵&ライブショー、行ってきました!!

 

僕にしては気の利いたことにちゃんと『#oshare in DICTIONAY』持参で行きました(笑)。

会場にはオーディエンスが65人いたそうですが(五味アイコン描いてもらえる人の抽選が、整理番号1から65の間で選んでたので)、さすがにスーツ着てネクタイしたサラリーマンは僕だけで居心地悪い悪い。その上、司会がぴあの高橋一さんとSPACE SHOWER TVの幸山由佳さんだった訳ですが、のっけから高橋さん「ぶっちゃけ、ここ二人はサラリーマンですわ」とのたまっていよいよ居心地悪い悪い(笑)。やっぱり、こういうイベントごとには、アートとかデザインとかに親密な業種の人はともかく、「ふつうの」勤め人は来ないっていう前提になってんだなあと。そういうバリアを改めて。ほんとのこと言うと、日本のカルチャーを、バックグラウンドを、状況を変えたいんだったら、そういうイロメガネから変えなきゃいけないと思うけどね。

さてショーは、最初30分くらいトークして、オーディエンスの中から選ばれた3名(当初は2名の予定だったみたいだけど、店側が時間おしてもいいってOK出して、3名に増えた)のアイコンを画伯がライブペインティングして、最後の弾き語りで二曲。スタンダードブックストアのページには、「LOSTAGEのアコースティックライブ」って書いてたので、ナニ拓人さんと岩城さんも来るの?と思ってたけど兄さんひとりでした。あれねえ、イベントタイトルには『#oshare in dictionaryの五味岳久さんって書いてるのに、ライブやるのは「LOSTAGE」って、ちょっと揺れてるねえ。

トークは、最初に高橋さんが「今日はUSTしません。なぜかと言うと、ここだけの話満載にするつもりだから」と言ってたワリにはそんなに危ない話もなかった気がするけど、それは、オーディエンスのあったまり具合の問題かも。同じく高橋さんがはじめに「飲み会気分で!」(スタンダードブックストアのページにも書いてる)と言ってたんだけど、五味さんが「みんなシャイやねん」と言う通り、LOSTAGEのファンってびっくりするぐらいほんとにシャイな人が集まるんよね。「奈良の人?」って聞いたとき、結構な数手を挙げてたんで、奈良県人がシャイなんだろうか(笑) 始まってすぐに、五味さんが会場に問いかけて、例によってノーリアクションで、「オレ、このコール&レスポンスが出来てないカンジ、キライじゃないねん」と言ってたのがめちゃおかしかった。

五味アイコンは、五味さんの無差別選択で選ばれた番号の方が、次の番号を選ぶってので、僕の整理番号は36だったんだけど、その方が仰ったのが39で、最後の一人はジャンケンで選んだんだけど、一回目は勝ってそれでもう10人くらいまで絞り込まれたんだけど、二回目で負けて。なんか惜しい感じでした。で、ほぼ1時間30分くらい、五味さんがアイコン描くとこをスクリーンで眺めながらダベる、という珍しいイベント(笑)。

途中、五味さんが似顔絵がうまくなりすぎてるという話になって(オーディエンス3名のアイコンも確かにめっちゃ似てた)、高橋さんが、「初期の味のあるアイコンのほうが好きな方」と聞いたらほとんどの人が手を挙げ、「今のうまくなったアイコンのほうが好きな方」と聞いたら誰も手を挙げなかったのに、アイコン描いてた五味さんが「え?オレ見てなかった。どれくらいの比率やったん?」と高橋さんに聞いて、詰まった高橋さん「んー五分五分かな?いや6:4くらいで・・・」と適当に答えたら五味さん、「6:4てめっちゃええ比率やと思うねん、音楽でも、”初期のアルバムのほうがいい”とかいう人でてくるやんか」みたいなこと言ってて痛々しい(笑)。あのくだりがめっちゃおもしろかった。

その他箇条書き:

  • 『oshare in DICTIONARY』は、初版は結構間違いがあるらしい。
  • アイコン展の話。アイコン展の話もそうだけど、今日のイベントのMCの高橋さんと幸山さんが、手弁当でノーギャラで引き受けた話。引き受けたというのか、そもそもお二人がやりたいと言って動いたのかまでは分からなかったけれど、幸山さんが五味アイコンブックを創るに至った経緯然り、動くことのおもしろさを伝えてもらった。
  • 反対に、五味アイコンブックを創る困難さも。幸山さんが高橋さんに「ぴあがあるじゃん(=出版できるという意味」と聞いたら、「ウチはちょっと・・・」と難色を示した話とか、これだけ親密にしている間柄でも、柵を通すことがあったりするのが当たり前だと改めて認識。
  • そして本を出すにあたっての五味さんのスタンス。「自分から、本にしたいと言って動くつもりはなかった」と。パルコの人とかに「本にするなら言ってくれたら」と、基本的には自主的なスタンスを求められてて、五味さんはそこまでの自主性は本に関してはなかったので腰を挙げなかったが、幸山さんが動いてくれたと。これは珍しい例で、普通は、やりたいなら自分が動かないとダメだと思う。
  • 五味さんは、いろんな人達が動いてくれて、こういうことが出来ていると頻りに言ってた。この1年、パンゲアとかいろいろあったけど五味さんを見続けてよかったと思った。自分の仕事にとっても。
  • 「もう五味アイコン飽きられてるやろ、ピーク過ぎてるやろと思ってるやろ、じぶんでもわかってます」と自虐的に言ってた五味さんがおもしろかった。
  • 会場に来てたのは、ほぼLOSTAGEファンだった。五味アイコンからLOSTAGEを知った、もしくは五味アイコンの作者、というので来た人はほとんどいなかったみたい。

そして押しも押した22:00過ぎ、待望の弾き語り。曲目は『楽園』と、会場からのリクエストで『母乳』でした。

 

 

総取りの誘惑を振りほどけ

僕はジョブズ信奉が好きじゃない。アンチ・アップルと言ってるのではない。そんなにアップル製品を持っている訳ではないけれど、MoraとiTunesのどちらを選ぶかは、将来性を十分考えiTunes+iPodにしたし、iPod touch発売のニュースが飛び込んだときには速攻でappleのサイトで予約した。つまり、あの「英語版でしか初期化できない」悪夢に見舞われ、徹夜でVMware playerを導入し、英語版XP仮想マシンを立ち上げ、・・・ということをやったクチなのだ。消して、アップルが嫌いなワケでもないし、Windowsを持ちあげてるワケでもない。

僕は、ジョブズを盲目的に奉る心性がどうも好きになれないのだ。理由は二つある。ひとつは、特に日本で「ジョブズ信奉」を語る人の多くが、「日本も、ああいう独創的な人材が出てくるような、社会とか教育とかに変わらなければならない。アメリカは、ああいう独創的な人物を輩出できる社会になっていて、それがアメリカという国の強さに繋がっているのだ」と論じること。

僕はこの論法を聞くと、決まって思う:「そうは言っても、ジョブズとゲイツくらいだろ?」もちろん、IT以外の分野で、高い業績を挙げている学者や研究者やビジネスマンが多く存在するのは知っている。けれど、昨今、日本人もノーベル賞受賞が続いているし、とりわけ科学技術分野で劣っているとは思わない。第一、アメリカの人口は日本の約3倍。それだけ数がいても、iPhoneのような、社会にイノベーションをもたらす天才は、ひとりしか輩出しないのだ。IT業界における別な天才、リーナス・トーバルズはフィンランド人だ。なんでもかんでも、日本が日本然としているから、独創的な発想ができないようなモノを言う人は、僕はあんまり信用できない。まして、「だから日本もアメリカみたいな社会に変革しなければいけない」なんて言う人は、日本で出来ることをやりきっていない人のように感じる。

もうひとつは、先の理由にも関連するけれど、ジョブズを信奉するということはすなわち、「一位総取り」的な社会の仕組みを暗に認めるということに繋がってることに無自覚なことが多いからだ。ジョブズのような天才が、非常に魅力的な製品を産みだした。それは現代では、アメリカという国籍を越えて、世界中からカネを吸い上げる。そうしてアップルは今やアメリカ政府の資産を上回る資産を保有する。もちろん、ジョブズはそれに相応しいだけの製品を産みだしたのだけど、だからジョブズが避難される筋合いはまったくないのだけど、世界中で巻き起こっている経済危機の根っこの問題が、こういうところにあるということはあまり触れられない。

いい製品を作っても、それが売れすぎないように配慮せよとか言うつもりじゃなくて、今の資本主義社会はそのシステム上、「勝てば官軍」式になっていることは自明かつ必定。だから、資本主義社会に生きる僕たちは誰も彼も、「成果を挙げた者は、それに相応しい報酬を得て然るべきだし、勝ち上がった者が最終的に果実を独占して当然」と思い込んでいる。でもそれが今、思ってもみない形で、世の中を壊しに掛かっている。資本主義社会の会社組織は、マーケットがあるところに攻め込み、すべてを刈り取るまで膨らんで、刈り取ったら解散するか新たな種を撒くかで、とにかく「一位総取り」が当たり前の仕組。それが「当たり前」であることを象徴し、かつ、正しいこととして固定してしまうことに、ジョブズ信奉は加担しているのに、あんまりそういうことは言われない。

『オートバイ・ライフ』/斎藤純

4166600486 オートバイ・ライフ (文春新書 (048))
斎藤 純
文藝春秋  1999-06

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オートバイ好きの作家による、オートバイの愉しみ方。
僕はオートバイには乗らないので、オートバイに直接関わる情報についてはそれほど役に立つ訳ではないけれど、「愉しみ方」という観点はとても面白かった。僕はロードバイクに乗っているが、ロードバイクもオートバイと同じで、パーツやウェアに拘りだすと切りがないものの、それが「愉しみ方」とは思えないし、欲しいものは出てくるものの、それを愉しみとはできない自分がいて、なぜそれが「愉しみ」ではないのかを、本著は明確に語ってくれる。

オートバイの本と言いながら、映画やクラシックの話題も絡められ、オートバイに乗るということが、ひとつの文化と言えるようになっている。オートバイが文化を形作ってる側面。こういう本に触れるにつけ、自分が若い頃からあまりにも映画やクラシックに興味を持たな過ぎてきたことを後悔する。

特に面白かったのは、エコロジーに対する「感傷」という批判。「牛肉を食べている人間に自然保護を語る資格はない」式の言い分に対して、「子供っぽい感傷」と一刀両断にしている。そして、「知ること。行動すること。」というロジックを展開している。ここで言う「感傷」と言うのは、言うなれば「思考停止」ということだろう。僕は感傷そのものは否定しない。何も生み出さない感情の美学というのは確かにあるから。それを、文学とか音楽とか、アートだけの特権にしておく必要はないと思う。けれど、感傷を持ちながらも知り、行動する手立てはある。そこまで考えた上で、「アンドレ・マルローが1930年代に、悲観的かつ行動的な者たちは、ファシストであり、将来ファシストになるだろうと述べている」という一文が、重い。

五味アイコンブック!

我らが奈良が誇る超絶かっこいい3ピースロックバンド"LOSTAGE"のVo.& Bass五味兄画伯のアイコン集!この厚みがまたかわいらしい!

正直、PARCOでの五味アイコン展とか、なんかちょっと利用されてるのかな感があったりして、もちろん五味さんは主体的なんだろうけど、展示やる側とかはLOSTAGEの音に感動してるんかなとかごっつい好きなんかなちゃんととか、思っちゃうし、LOSTAGEのファンが凄い増えてきてる感じがしないところを見ると、やっぱり魂入れてこういうイベントしてる訳じゃないんだろうなイベンター側が、イベンター側に熱のあることはやっぱ広まっていくもんなー、と思ったり。

でもなんにせよ、五味兄さんの、LOSTAGEの、露出が増えていくのはとても嬉しい!

4860204360 五味アイコンブック #oshare in DICTIONARY (P-Vine Books)
五味岳久(LOSTAGE)
ブルース・インターアクションズ 2011-09-23

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『聖☆おにいさん7』/中村光

一緒の晩餐!

406387026X 聖☆おにいさん(7) (モーニングKC)
中村 光
講談社 2011-10-21

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仕事のことでバースト寸前のアタマとココロをいっとき解放してくれました!

いっちゃん面白かったのはブッダとイエスのPVを創る『実在を証明せよ!』。
ゼウスの「ボカーン」連発が溜まらん!!(笑)
あと、この次の話『逸話の多い子供たち』の冒頭で松田さんが切れるシーン(笑)

気分転換って大事。

『プロジェクトジャパン』来た

レム・コールハースの『プロジェクトジャパン』到着!

今この時なら当然「プロジェクトジャパン」というと東日本大震災の復興復旧を思い起こしますが、この本のタイトルである「プロジェクトジャパン」は、主に戦後日本の建築界を席巻した「メタボリズム」とその周辺を指してます。レム・コールハースは、コンペに際し「ブックレット」という資料集を作るそうですが、この『プロジェクトジャパン』も正にそんな感じ。分厚いブックレットです。

『プロジェクトジャパン』という著名がなんとなく商売上手に感じもしますが、「戦後日本の復興」のシリアスさは、東日本大震災からの復興復旧のシリアスさに勝るとも劣らないと思いますし、そのシリアスな局面で生まれたのがメタボリズムだとしたら、東日本大震災における復興復旧にとっても振り返るべきものだろう、少なくとも比較検討に値する、というのは頷けます。

僕は、気をつけないといけないのはやはり人口減かなと思います。本著でも繰り返し出てきますが、戦後日本の復興局面では、経済成長と人口増加への対応策が主軸だったと思います。キャパシティの確保・増強をいかに保証していくか。東日本大震災における復興復旧は、一見、メタボリズムの柔軟性・拡張性が有効そうに思えたけれど、その性質が「何に」対する回答なのかを考えると、相応しくないかもしれないと思います。

 

Project Japan, Metabolism Talks… Project Japan, Metabolism Talks…
Hans-Ulrich Obrist Rem Koolhaas

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ビジネスの基本 再教育

案件が圧倒的に不利な局面で、どういうふうに行動するか。

いわゆるアメリカ資本主義的ビジネススタイルでは、かける労力と得られると予想されるリターンとの兼ね合いで行動を決定する。他方、日本的根性主義ビジネススタイルでは、とにかく結果が出るまでは諦めず食い下がれと発破をかけられる。

僕は結局、この両方に毒されていた。正しい行動は、このどちらでもない。

まず第一に、仮に失注したとして、結果が出た後、失注の理由を確認すること。お客様の決定には様々な理由があり、提案の是非だけでは残念ながらないので、教えてくださいと言っても本当のことを教えてもらえるかどうかはわからない。それどころか、こちらはお客様にとって断っている相手なのだから、本当のことを話してくれない確率の方が高い。それでも、その理由を教えてくださいと、お願いして訪問するべきだ。その理由は2点:①失敗の原因の情報を蓄えることは、今後の勝率を高める上で必要な情報②そのお客様との関係を重視する。特に関係を維持したいのであれば、態度で示さなければならない

次に、ほぼ絶望的な状況だとして、後は流れに任せるのか。これは、結論が出るまで諦めるべきではないが、「諦めるべきではない」ということが、どういう行動をすることなのかは、注意する必要がある。あくまで、よりお客様にとって有益になるように改善するために行動をするのであって、自分達の状況を有利にするための手を打つような行動であってはならない。同じようなことに聞こえるが全く違う。仮に、「御社の提案を聞くのはこれが最後です」と言われたとしても、どうしてもそのお客様から受注したいのであれば、改善余地があれば改善させてほしいという情熱を訴えてみるべきだ。有用性を高めるという理由であれば、お客様に納得して頂ける可能性はあるが、単に見積提示を差し替えさせてほしいという自社都合での行動は、敗因のひとつになるだけだ。

最後までやり切る、ということを誤解している人間に、毒されてしまっていた。効率的にビジネスをするという人間に、毒されてしまっていた。ビジネスの基本は、どれだけお客様に有用性を提供できるかであり、その核を無くしたビジネスが、長期間順調に進むことは絶対にない。

こんな基本的なことは、この年になると誰も改めて指摘してくれない。心底感謝するばかり。

アメリカ資本主義的ビジネススタイルも、日本的根性主義ビジネススタイルも、どっちも結局「うまいことやろう」という性根以外の何物でもない。そうしてもしなくても、うまいこと行くときもあれば行かないときもあるが、どうせそうなら、お客様にきちんと有用性を提案できるように、王道で活動するのが最もよいと改めて信じることが出来る。


自分の幅を広げるために、様々なところから情報を得たり、様々な場面に出向いたりしていたが、こういうことはすべてバランスなのかも知れないが、そういう間接的な場面で得たことが本業で生きると思っていたものの、そんなことよりまずやっぱり「本業」に集中することが改めて重要だと思い至った。お客様により多くの時間を割くこと。これがいちばん必要なことだ。

アルミフレンチバルブキャップ

着けてみました。

リアのバルブキャップがあまりにもよく割れるので、アルミ製のものに変えよう変えようと思いながらなかなかできず、やっと変えてあげました。

バルブキャップを変えようという人は、だいたいファッション性を重視してのことなのか、お店に置いているバルブキャップもカラーだったりフィギュアがついてるみたいなので、シンプルに「黒」というのがなかなかなくて意外と手こずった記憶があります。Y's ROAD大阪で購入。

 

多分これだと思うのです。

アリゲーター アルミフレンチバルブキャップ (仏式)1個 ブラック アリゲーター アルミフレンチバルブキャップ (仏式)1個 ブラック

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オレは負け犬なのか

それは難しいことなのか?やはり、常に上を上を目指さなければ、どこかで行き詰ってしまうものなのか?経済は常に成長を必要とするから。しかし、グローバル企業に勤めながらここ最近、ローカルのSI企業にコンペで負けることが相次ぎ、その理由はほとんどが構築作業費が無償に近い金額でローカルSI企業が提案してくるから、でも彼らはそれで食べていけている。この差はどう考えればいい?グローバル企業が存在するが故に、価格戦略でローカル企業が優位に立つことができている。

もしかしたら、この会社をここでドロップしても、このローカルな土地を愛して生きて行く道があって、それは、今思い描いているような惨めで負け犬なものではないのかも知れない。それなら「規模の経済」をグローバルに喧伝したアメリカの一企業を、肌で知っているのは悪くないことだいう意義もある。

目の前には大きな壁がある。その壁はチャンスの裏返しでもある。周りを見れば、その壁に挑む機会さえ与えらない人も、偉そうな言い方だが、何人もいる。チャンスを目の前にするたびに怖気づいて逃げを打ち、チャンスを棒に振ったことを、吹聴しないまでも安心の材料にして過ごしてきたようなところがある。
それまでの経験を財産として売り物として、違う組織に、違うマーケットに、身を移していくことは戦略として何も間違っていない。けれども、移した先で新たな経験と財産を持たなければ、単に貯金を切り崩しているのと同じことになる。オレは直近はそうやって暮らしてきたに相違ない。現状の自分の能力と実績以上の収入を得てしまっているに相違ない。だから身動きが取れない。

この、収入のジレンマを無視するとしても、自分に何ができるのか、という根本的な答えがないから、何がやりたいのかという前に、何かをしようという決断もできない。ビジネスパーソンとしては完全に力量不足で、今、目の前のチャンスに挑戦するとしても、その挑戦するモチベーションが結局、「ここではないどこかにはいけないから」という、究極に消極的なものになる。これこそ、負け犬ではないか?

何かに踏み出したくても踏みさせる先が見いだせない。収入のジレンマは無視しない。これは「遣り甲斐」とかで片の付く問題ではないし、かと言って、収入という「結果」を追い求めるだけでも解消しない。オレは負け犬なのか?自分で決めたときから負け犬は負け犬になる。時間がかかっても無理矢理でもこのモチーフと格闘していくしかない。それが金銭的な結果ではなくとも、インプット&アウトプットで進んでいくしかない。